代表プロフィール

静岡市にある株式会社ミラクスの代表 村松秀雄と申します。

下記に、私のプロフィールをまとめました。

株式会社ミラクス代表村松
もくじ

簡単な自己紹介

昭和35年、静岡県静岡市清水区(旧清水市)に生まれる。法政大学工学部を卒業後、企業つとめ20年のうち15年間を製造業に勤務した。その間工場の現場で働き品質管理・営業・生産管理の職種についた。バブル崩壊後のリストラの嵐が吹き荒れる中、40歳で独立する。

401kコンサルタント、社会保険労務士及び社会保険労務士受験講座講師を受け持った後、人の成長に寄与する道に進み、人材育成コンサルタントとして訪問した企業は延べ800社、社員研修はリーダー研修を中心に1000回を超える実績を重ねる。

現在は、静岡市駿河区に事務所を構え人間関係の質の向上を中心とした組織開発を通して、人材と企業の支援を行っている。

株式会社ミラクス 代表取締役
アクションラーニングコーチ、TWIトレーナー、RSTトレーナー、社会保険労務士セミナー講師、社員研修講師、静岡働き方改革推進支援センター派遣講師、公益財団法人静岡県産業振興財団の診断助言登録専門家静岡県職業能力開発協会 企画教育研修担当講師

私の仕事に対する思い

私は、心理的安全性を用いたチームワークづくりを目指しています。

詳しくはこちらをご覧ください。
<心理的安全性のこと>

私の強み

ストレングスファインダーで分かった、私の強みTop10です。

順位強みの資質資質の領域
1共感性人間関係構築力
2親密性人間関係構築力
3原点思考戦略的思考力
4慎重さ実行力
5調和性人間関係構築力
6成長促進人間関係構築力
7最上志向影響力
8責任感実行力
9個別化人間関係構築力
10収集心戦略的思考力

1位になったのは共感性
しかも上位10個のうち半分の5個が「人間関係構築力」でした。

逆に「人に対して与える影響力」は最上志向の1個だけ。診断結果を見て思ったことは「やっぱりね」でした。

私は人に対して、「あーしたほうがいいよ」とか「こうしなければ…」と相手の目を見て言うのが大変苦手です。
それよりも、相手が「あれがしたい」「これが好き」ということに対して、「そうなんだ、へーすごいじゃん、頑張んなよ」という接し方をずっとしてきました。
それは、私の個性(強み)が自分をそういう行動に結びつけていたことが分かりました。

例えば、会議での私は、他の人の発言に耳を傾け続け、それぞれの意見に相槌を入れながら聴く。
会話が停滞してしまったときに言葉を発し、同じ意見が他の人から出た時には賛同の意志を明確に表し、異なる意見にはじっと耳を傾ける。

そういう参加の仕方をします。

このような行動は他の人からみると積極性がない、自分の意見を言わない、と思われてしまうのですが、実は私の個性(強み)の現れだったのです。

「私」のこと

ストレングスファインダーで、堂々の1位と診断された共感性

私の人生はこの共感性との闘いでした。それは共感性が強いことによる行動が他の人とは違うことで、自分に対してコンプレックスを持っていたのです。

例えば…、

  • 人と長い時間一緒にいるとぐったりするので、あまり人に会いたくない
  • 人混みが苦手
  • 名刺交換会に行くと、壁を背にして誰か来てくれないかと待っている
  • 何十年前のことを思い出し、その時の感情がよみがえり声を出すほどの激情に襲われる
  • 人のちょっとしたしぐさが気になる。どういう感情なのかを読み解こうとする
  • シャツの襟もとのタグがチクチクして、どの服も外してしまう
  • 自分の本音をそのままの言葉にせず、目の前にいる人が気に入るような発言をしてしまう
  • ある程度定期的な期間に一度は、誰とも会わない、話さない時間が必要。
    私は“充電日”と呼んでいます
  • 強い光に極度に弱い
  • ある音が非常に耳障りで耐えられないときがある
  • 人と話をしているとオーバーなリアクションを取ってしまい、周りを驚かせる
  • 意図しないコメントを書き込まれるのが嫌なので、SNSへの投稿はできるだけしない

こんな自分が嫌で、おかしな人間なのではないかと心から思ったこともありました。

そんな時、ネットで探していたある言葉で自分を見つけることができました。

それは“HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)”という人の種類です。
HSPの傾向のある人は、上に書き出した特徴を持っています。
このことを知ったことで、私は特別な人間ではなく、世の中には自分と同じような人がいて、同じように苦しんでいるんだと知ったとき、心からほっとすることができました。そして、ストレングスファインダーで診断された共感性の強い人が“HSP”というカテゴリーの傾向があることも分かりました。

「人生ここまで来たら、今までコンプレックスの基になっていた共感性を、自分の強みに変えてくしかないっしょ」
最近、そんな風に考えるようになりました。

共感性を活かした、“HSP”傾向のある私だからできることを活かして、世間の人の幸せに貢献できたら。
マイナスがプラスに変換することができ、結果として私の人生がこれから充実したものにできるのではないか。

そう思うようになり、このサイトを立ち上げました。

これまでの経緯

ここからは、これまで村松が仕事の目的を探し続ける道のりを振り返っています。
(2020年6月4日時点でまとめたものです)

40歳でサラリーマンを退職して独立の道を歩んだ。

何かを成し遂げたいという壮大な野心や目標はなく、ただ組織に所属していることの閉そく感から解放されたい、一心だった。企業に属していた時に3年掛かって合格した社会保険労務士という資格を活かしていけば、とりあえずは何とかなるだろうと思ったが、自分の全く想像が出来ていなかった、いわゆるこちら側の世界はとんでもない世界だった。事業計画やビジョンなどという言葉すら知らない私が通用するはずがなく、貯金や退職金をどんどん食いつぶしていくことになり、何とかしなければと焦り始めたのが開業資金が100万円を切った頃だった。

何も秀でたものを持たない私がこちら側の世界で唯一通用するのは、社会保険労務士という資格を持っていることだった。3年かけて合格する過程を踏んだので、その期間に得た受験勉強についてのノウハウや自分で考えだした工夫や改善を人に伝えて「喜ばれ」「お金が稼げれば」との思いから人伝えに2箇所の資格受験の学校で受験の講師を務めさせてもらうことができ、ようやく自分で得たものが世間に評価され、報酬につながる感覚を得た。

と同時に、自分で得たものを人に伝えることの喜びと、受講者が分からないことを分かり易く伝えることで、理解してもらったときの快感を味わうことで、私の研修講師の道がスタートした。

今から思うと資格受験の講師は、決まっていることをいかに分かり易く伝えるかがポイントだったことと、そもそもその資格を取りたいと思っている人が学びに来ている環境だったので、人に教える立場としてはほとんどが揃っていたのだと思う。そんな環境からスタートできたのはラッキーだった。

講師という仕事を続けていると欲が出てきてもっと上手に教えることができるようになりたいと思っている際に、HPで見つけた県内の中小企業診断士の方の紹介で、社員研修講師の勉強会があるので、行ってみないかと誘われてそこから10年間に渡って、毎月名古屋へ開催されている講師の勉強会に参加するようになった。

講師勉強会では、今振り返るとティーチングとコーチングの基本を徹底的に教わり、現在もその基礎技能が意識せずに言葉や振る舞いとして出ているので、大変ありがたいことだな、と感謝している。

本当のことを言うとこの講師勉強会は研修講師の技能だけではなく、師匠への心遣いとか、仕事の依頼先との付き合い方とか、同業者との仁義とか、いろんなことを教わった。年末年始の休みも返上して勉強?したこともあった。今はもう出来ないいい思い出?だ。

この勉強会である程度人前で教えることに対しての自信がつき、それによりいろんな分不相応な仕事も担当させてもらった。そしてその経験が私を一回り成長させ、今があるのだと思う。

どんな今があるかというと、研修講師は与えられた時間を精一杯受講者と接し、全霊を傾けて注力して研修終了後には燃え尽きる、という講師生活を送っていた。しかし、その後の受講者のフォローや、自分自身の講師としての振り返りまでは時間も力も割くことがなかった。

そのことに気づいたのが、2019年の1月くらいだったと思う。そこから半年かけて自分のやってきたこととその目的や仕事のビジョン、更に仕事に対するモチベーションなど、改めて自分に問いかけてみたところ、いくつかの劇的な気づきをえることができ、そこから仕事の方向転換が始まった。

  1. 研修をやりっぱなしでいいのか? そもそも研修で人は成長するのか?
  2. 自分のやったことを振り返らないのは、本当に時間がないからなのか?
  3. 自分は心の底から研修講師として在りたいのか?
  4. 人の喜びを我が喜びとするために、人とどうかかわりたいのか?

など自分を見つめ直した結果が、今までのHPの閉鎖と、このサイトの公開につながった。だからこのサイトでは、今現在の変わっていく過程をできるだけ記録しておきたいと考えている。

上記4つについても、今時点(2020年6月4日)で答えが出ていないものもあるが、答えが出ていなくてもその時点の思いを記録しておこうと思う。

例えば、自分の振り返りについて

私は人からフィードバックされるのが極端に嫌いだ。たとえそればよかったことでも聞きたくないのだ。ましてや受講者のレポートなどを書いてもらっても、ざっと目を通すだけで、それによって何かを得ようという気持ちが持てない。自分の講師風景を録音したえい録画したりすることもほとんどない。見ることができないのだ。

しかし、こんなことではダメだということを知った。経験学習の考え方からいくと、せっかく経験したことがムダになってしまうということだった。だから今は受講レポートをちゃんと読むことにしている。まだ、フィードバックは苦手だ。録音、録画などは、主催者が間違って録画していなかった、という謝罪の連絡が私に来ると、小躍りして喜んでしまう私がいる。こんな私を受け入れて、苦手を克服するチャレンジをしていく過程も記録に残したい。

研修講師として在りたいか

これに関しては、私は小学校、中学校、高校と毎年学級委員長をやり続けた。自分でやりたいといったことは一度もなく、教師から指名されたり推薦で選ばれ続ける人生だった。教室の前に立ってみんなの前で話すのはひどく嫌だった。

社会人になってから会議の司会役をやらされることもあったが、役を逃げるコツを覚えたので、学生の時のようにその状況を甘んじて受けるということは少なくなった。ただ、そうはいっても定期的にその役が回ってきた。やっぱり人前で人を仕切るのは苦痛だ。

そんな私が人前で話をする講師をやっているのは不可思議なのだが、その複雑な方程式を解明している最中だ。

なぜ人前で話をするのが苦痛なのかは、恐らく私の特性である、HSPが影響しているのだと思う。人と接することで大変気疲れしてしまうので、できるだけその役から逃げたいのだろう。しかし、真反対の私も存在する、それは人の成長に寄り添うことが何よりも喜びと感じる自分だ。おそらく人が育つ場面を与えられると、喜びのほうが勝つのだと思う。しかし、その場に立った瞬間に、私を見ている皆さんの意識が私と共感性と共鳴して、今までの大変だった記憶がよみがえり、逃げ出したくなるのだろうと思う。

このようないろんな顔を持つ私がどのように成長していくのか、このサイトを読んで下さる方の参考に少しでもなればと思っています。よろしくお願いいたします。

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