フィードバックの考え方

もくじ

定期的に行っているフィードバック

毎週土曜日にいろんな方の話を聞き、そこで感じたことを参加した方同士でシェアしあったり、話をしてくれた方に感じたことをフィードバックさせて頂く会に参加しています。

同じ話を聞いて感じ方はそれぞれ違っていることの面白さを味わえたり、そんな時間を与えて下さった話をしてくれた方へ感謝の思いで、いかに自分の感じたことを相手が受け入れてくれるかのフィードバックの仕方にも毎回気づきがあります。

フィードバックの難しさ

さて、今日話をして下さった方は以前から顔は何度か合わせたことがある程度で、どのような仕事をされている方かも知らなかったし、どのような話し方をされるのかも知らない、という方に対して自分の思いを伝え、フィードバックをさせて頂きました。

相手が言葉をどう捉えるのかは難しい、と日ごろ感じているのですが、更にフィードバックって難しいなあと思ったできごとがあったので、書き残しておこうと思います。

自分の思いをうまく言葉にできない

その方は見た目、バリバリ仕事をするような外見で、だいぶふっくらされているので話し方もバイタリティあふれるような方だと勝手に思っていました。

ところが実際に話を聞いてみると、非常にソフトな話し方で、ゆっくりと考えながら噛んで含めるような話し方でした。なので、話を聞き終わった後のシェアタイムで私は、このようにお伝えしました。

村松

「・・・・・・・・・・を学びました。ありがとうございました。
 話し方も淡々と話されて、」

話した方

「え、そうですか?そうだったかなあ?」

私は本来、「淡々とお話しされて、それが語り掛けるようで話が聞きやすかったです。」と伝えたかったのですが、そこまで話を続けられず、自分の思いをうまく相手に伝えることができませんでした。

振り返りで見えたこと

ここから見えない心の動きの解説に入ります。

  • 私はそもそも話し方に対して、批判的なコメントをするつもりはなかった。
  • しかし、私の言葉の選択が相手がどのようにとるのかを考慮せずに「淡々と」という言葉を
    使ってしまったため、相手が批判されたと受け止めてしまった。
  • 相手は日ごろ自分が「淡々と」話をしていると、思っていなかったかも知れない。

このように言葉を使って行う会話は、

自分が伝えたいことを言い続けることが出来ない場合があることと、相手の取り方によって全く異なった意図しないように受け取られてしまうことがある、ということですね。

仕事上だと更にハードルが上がる

これを仕事上のフィードバックの場面に置き換えてみると、もっとハードルが上がるかもしれません。仕事でフィードバックをする場面では、どちらかというとネガティブな出来事があってそれに対して行うケースが多いので、フィードバックを受ける側が身構えている割合が高いでしょう。

そもそもそのような場面設定なので、

  • フィードバックをする上司が、そもそも部下に対して批判的なコメントをするつもりがなくても
  • 上司の使った言葉が、相手には批判的な言葉として使ったと受け止めてしまい
  • 部下は自分の思ってもみなかったことを言われたことで、頑なになる

ということが職場で起こると思われます。

フィードバックをあきらめない

だからといって、フィードバックをすることをあきらめてはいけません。むしろ、どんどん伝えていきましょう。なぜそうする必要があるかというと、それが伝える側の学習になるからです。

客観的に捉えて学習する

人が何を考えているかなんて本当は分かりません。ましてはどのように育ってきてどのように生きてきたかも分からないし、育っていく過程でどんな言葉をどのように使ってきたかなどは、本人でも分からないでしょう。そのような皆目見当がつかない相手に対して、完全にこちらの意図が伝わるような言葉だけを選んで話すなどということは土台無理なことです。

ですが、今回の私のケースで考えると、ああ相手はそう取ったのか、と客観的にとらえればいいのです。

それを、全く人の話を真正面から受け取らないで、と相手にせいにしてはいけません。これを学習(起こったことを客観的にとらえて次の行動につなげる)したと捉えれば、次の行動に移せばいいのです。

会話を続けて学習し、次に活かす

お互いに会話を続けていくことで、お互いが学習をしていけば、お互いの考え方や言葉の使い方を理解してくるでしょう。そして、相手との会話による学習の成果が、難しいフィードバックの場面で生きてくるのではないでしょうか。

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