引き下がることも大事
以前自分の車を運転中にぶつけてしまって、修理に出す時のエピソードです。
あのまま凹んだままの車を乗っていたら客先に行く時に、引け目を感じてしまうし、
なにより、車がかわいそうだと思った。
車の修理を依頼するところと、朝の訪問先がわりと近かったので、訪問先まで、修理工場の人に取りに来てもらう段取りにしておいた。
修理工場の時間の都合で、客先の人材育成担当者と打ち合わせ中に、車の引き取りをしなければならないので、そのことを断ったところ、急に、その方の顔色が変わって、いろいろ事故の状況を、つぶさに尋ねられた。
「あれえ、??」と思いながらも答えていたら今度は「スピードは落としたのか」とか「危険を感じんなかったのか」と説教されてしまった。
なぜ、ここまで言われなければならないのか?と憮然(ぶぜん)として聞いていた時に、ふと気付いた。
この会社は、運送会社だったのだ。そして、この担当者は、会社のトラックが事故を起こした時の処理をしたり、ドライバーに対して、注意をするのが仕事だったのだ。
アチャーーー!!
まずいところで、話をしてしまったと後悔したがもう遅い。
そりゃ、車の事故って聞いて、黙っていられるはずがナイ!
仕方がなく、黙って叱られていたがあまり私に反省の色がみられなかったのだろう。こう聞かれた。
でも、見えなかったんじゃなくて、見てないだんだよね
で、事故の瞬間の記録を見せると、必ず、ドライバーって、他を見ているんだ。その姿を見て、ドバイバーは自分のミスに初めて気づくんだよね
ということで、注意力喚起をさせてもらった。更に、もし危ないなあ、と思った時の心構え教えてもらった。それは、
「危ないかも、と思ったら自分が引き下がること」
だそうだ。
例えば、狭い道ですれ違いの時に、自分が引き下がって相手に道を譲る。
バックする時に、後ろがよく見えない。その時には、そのままバックするのではなく引き下がって、車から降り、目視で確認する。
等々だ。
これって、車に限ったことではなく対人に対しても言えるのでは、と思った。
どちらも自分が正しいと主張した時にそのままでは平行線になってしまい、お互いに得るものがない。
であれば、まず自分が引き下がって、相手を受入れる。または、相手の話を聴く。
例えば、自分の仕事が、この先不安があればまず、止まって、今までを振り返って確認するということで事故を未然に防ぐことができるのでは。
このように考えればいいのかもしれません。
忙しくて、いちいち立ち止っていられない、と思っても、もし、大勢の人に迷惑がかかるミスをおかしたら大変なことになってしまう。
なにより自分が嫌な思いをする。
そんな心持ちが必要だな、と思いました。気づかせてくれてありがとう。