作り続けるから次の一歩へ
“作ったら売れるしくみ”に支えられていた昭和の時代
私が以前住んでいた地区では酪農が盛んで、例えば娘が通っていた小学校の同級生の、半分以上は酪農家の子供たちでした。
自然と酪農家の方々とも親しくなって、いろんな話を聞くことができました。
彼らが供給している牛乳とは、日本人の健康を支えてきたのもので、全国的な牛乳の供給体制が確立していることも、日本人の平均寿命が世界最高レベルにあるのかも知れないと、素人考えで思っていました。
考えてみると、学校で牛乳が昼食の時に当たり前のように出されて、どうしても牛乳が飲めない子は、飲めないという事実を隠すために、好きな子に飲んでもらうという暴挙にまで出ていたのは、「子供たちの健康を学校が積極的に支えていかなければ」という先生たちの思いが、別の形となって現れたのではないかと思います。
さて、そのような全国に渡る供給体制を構築されている仕組みを、実際に農家の方から伺いました。
(この話を聞いたのは15年以上前なので、現在は異なっているかも知れません、悪しからず)
- 牛乳はある一定の金額で、必ず農協が買い取ってくれる仕組みになっている
- だから酪農家は、1年365日牛の乳を搾って、農協から手配されたタンクローリーに積み込むということを繰り返している
- 基本的に販売価格を自分たちで決めることができないので、いろいろ不満はあるだろうけれど、それでも作れば買い取ってもらえる、という仕組みは、安定した生産を維持する根拠になりえる
のだそうです。
- 更に言うと、生きている牛なので、毎日2回、乳を搾らないと牛の機能そのものに問題が生じてしまうので、機能維持のためにも乳を搾り続けなければならないということも聞きました。
- 酪農家には盆も正月もなく、毎日働かなければならない。
- 近所でお葬式があっても、その日も絞らなければならない。 という、その職業ならではの苦労も聞きました。
- 最も今では、ヘルパーと呼ばれている、乳を搾る専門の方々がいて、その人たちに依頼することで、今では旅行に行くことができたり、休んだりすることも出来る
のだそうです。
令和の今、“作ること”をどう考えるか
さて、ここからが本題。
私たちがサポートをしている中小企業の製造業は、「作り続ける使命」を負っている企業が多いです。
そのために何が工場(あえてこうばと読んでください)で起こっているかというと、常に動いていることを要求されます。
基本的に仕事を休むことは許されません。三交替なので、自分の前番か後番の人が休んだり遅く来ると、その分も自動で延長して働かなければなりません。話して笑ったり、冗談を言ったりする雑談などもさぼっているとみなされてしまいます。
「なぜこのような状態が続いているのか?」と考えたのですが、それは昭和の高度成長期には、工場は作ったら売れたので、作り続けるのが使命だという価値観で仕事をしていたのでしょう。そのころは生活が便利になろうとしている最中だったので、隣の人が同じ物を持っていても、自分たちが楽になるために物を購入していました。その時に造られた価値観が今も文化として根付いているのだと推測します。
でも、今はもう平成を過ぎ令和の時代です。
作り続けてさえいれば、牛乳のように消費者が買い取ってくれる時代ではなくなりました。
国民は「健康」を求めていますが、「体の健康」と合わせて「心の健康」にも関心が高いです。牛乳だけではなく、自分の心地よい環境や生活スタイルを求めている人が増えました。
物を作って世の中に提供をしていく人たちも、時代に流れを感じ取って合わせるために、自分たちが何をしたらいいのだろうか、と考える人たちがいます。
私は、その方々と一緒に考えていきたいと思っています。